桜の樹の下には屍体が埋まっている」

かつてそう書いたのは、日本文学史上屈指の天才の一人、梶井基次郎だ。「あんなにも見事に咲くなんて信じられないじゃないか」と嘯く。確かに、桜の見事さというのは、日本人にとっては他のいかなる木や花と比べられるものではないのだろう。特に、その姿を陽の光で見た時ではなく、夜の闇の下で見た時に一層その「屍体」が埋まっていることを信じたくなるような蠱惑的な美しさは引き立つ。三回に渡って続けてきた桜の回の最後は、そんな夜桜の、空間全てを闇の眷属の聖地へと変えてしまうかのような、艶やかな美を見せてくれる四ヶ所を紹介してみよう。

 

1) 円山公園の枝垂れ桜

梶井基次郎は大阪の人だが、当時の三高、現在の京都大学に進学したので、青春時代を京都で送った。傑作『檸檬』の中で、基次郎は河原町通を歩きながら、名書店「丸善」をレモン型爆弾でふっとばす妄想にふけるわけだが、上の桜に関する引用が書かれている『桜の樹の下には』には明確な場所が示されていない。基次郎が書いた桜はむしろ集合的無意識のような「桜」なのだけれども、それでも彼を触発した桜が多分京都のどこかにあったのだろう。その候補の一つに思えるのが、円山公園の中に立っている一本の桜の樹。その枝垂れ桜は、夜の闇の中で煌々と照らされ艶やかに光り輝いている。一方、その重量を支えるために付けられているワイヤーの存在のために、桜はまるで囚えられた天使かなにかのように見え、痛みと苦悶に喘ぎながら体をくねらせているような悪魔的な印象も感じさせる。美の下に隠されているグロテスクな死の予感を、その一本の樹の中に胚胎している。私はまだそのニヒリズムすれすれの超越論的な美を写真に捉えられていない。今年こそはと願っているのだが・・・

 

2) 奈良県宇陀市「諸木野の桜」

別名「牛繋ぎの桜」。あまりに文化的に進みすぎたせいで、魂がほとんど袋小路に入っている京都から少し離れて、京都の前に都だった場所へ行ってみよう。奈良だ。

真っ暗闇の中を車で進み、街灯さえ殆ど無い村落の中を進むと、その桜が姿をあらわす。あたりは完全な暗闇に包まれている。空を見上げると、この時期にちょうど縦に姿をあらわし始める天の川がくっきりと見える。天の川と桜、これほど日本人の心を鷲掴みにする組み合わせもそうそうないだろう。それに加えて、なんと土地所有者の方の好意で、この時期にはまだ少し早いはずなのに、田んぼに水が張られて桜のリフレクションまで見ることが出来る。美味しすぎるこの桜の樹、是非とも撮影はしてほしいのだが、今回私がこの桜を取り上げたのは、これを読む人に是非撮影マナーに関しても考えるような機会を持ってほしいからだ。

上にも書いた通り、この場所は普通の村落の中にある、ライトアップさえされていない静かな暗闇の中に立っている樹だ。これを撮影するためには、土地所有者の方に許可をもらって自分で持ってきたライトで照らしながら撮影することになる。時間は夜中の3時から5時。周りにはここで生活をしている人たちが、自分の生活を営まれている。そういう場所で撮影する時に、夜中に大声を出してきゃっきゃとやっていると、いつかまたここも撮れなくなるだろう。最近特に、写真を撮る人たちのマナーの悪さが取り上げられることが多い。そういうマナーの悪さを露呈してしまうようなフォトグラファーはごく一部だと信じているが、できれば周りでそういう人を見かけたら、上手く声をかけて気持ちよく撮影できるような、そういう環境を少しずつ築けたらと思っている。

 

3) 地元へと戻ろう、滋賀県大津市琵琶湖疏水


2回前の私の記事で、琵琶湖疏水の昼の写真をお見せした。ここは勿論、夜も美しいのだ。しかし、この写真は多分少し特別だ。

 

琵琶湖疏水はライトアップされる。その時は多くの人で賑わうのだが、夜9時にライトアップが終わった後にはあたりは暗闇に包まれ、人っ子一人いなくなる。この写真は、その暗闇の時間に撮影したものだ。疎水の背後に僅かに光っている街灯をアクセントに利用して、超長秒露光で撮影したのがこの一枚だ。暗闇の中、極僅かな光をかき集めて、桜を闇の中からあぶり出した。Exifをみると317秒の露光、5分間。無風の日だけに可能だった一枚で、私はこれをわりと気に入っている。夜の桜を撮るという時、基本的にはライトアップをしている桜を撮るわけだが、もしじっくりと三脚を構えられるような空間的・時間的余裕があって、しかもその日たまたまラッキーにも無風であるような場合、超長秒露光撮影などもオススメだ。普通の夜桜撮影とはちょっと違う画を見ることができる。

 

4) 最後にやっぱりここ、彦根城

昼の写真と比べて、余計な要素が全て削ぎ落とされて、桜の美しさのその全てが、ただひたすら美しいイデア的美として浮かび上がると思っているのが、この彦根城の夜桜だ。特に一昨年くらいからライトアップが改善されたのか、妙な色ムラが少なくなって、それに加えて去年は最も満開の日に完全に無風の日があったので、最高の一枚を撮ることが出来た。しかしここは前回もお伝えしたが、撮影ポイントは車道にとても近い。今はまだ規制が入っていないが、何か事故でも起こればもうこの画も撮れなくなるだろう。くれぐれも、写真よりも自分の体の安全のことを優先して撮影してほしいと思う。

というわけで、三回に渡って続けた桜の記事、お楽しみ頂けただろうか。いよいよ3月に入って、あと一ヶ月後には日本中が美しい春色に包まれることだろう。その成果をいろいろなところで見られるのがいまから楽しみだ。

シェア
前の記事雲海と星や朝日の絶景スポット♪ 静岡県清水区吉原で富士山を撮影
次の記事井上浩輝が伝える「風景写真」+「α」
Takahiro Bessho
文学研究者兼フリーランスフォトグラファー。東京カメラ部10選2014。関西の風景写真を中心に撮影している。中でも、人と自然、両者のせめぎ合いが作り出す風景を好んで撮影する。そのため、寺社や仏閣などの古い建築物や、あるいは高層ビルや飛行機といった「人間の作り出したもの」を自然との共存の中で捉えることを好む。2017年はドローンフォトグラフも開始予定。